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おおごえ大乗寺『こころの栄養』~MEMORANDUM~

 日常生活において、記憶に留めておきたい言葉に逢うことが偶々ある。しかし私が還暦を過ぎて齢を重ねるごとに忘却したり、メモしたものを紛失したりすることが増えてきた。
 他人とっては他愛もないことであっても、自分にとっては大切であり、感動を覚えたことをメモしておこうと思い立ち、ここに記すことにした。
 珠玉の稿を目指すものではない。自分の心をいくらかでも高めるための栄養になれば嬉しい。
 極端に言えば新聞の切り抜きでもよい。新聞やテレビの情報をもとに自分の提言をしてもよい。それらをメモして人間形成の一助としたいと勝手に考えた。
 研究課題の問題の吐露を書くかもしれない。前進せずに後退したとしても、前を向いて懸命に進み続けたいものだ。
 何もせずにじっとしてはいられない。淀んではいられない。この「いのち」はいつまであるか分からないのだ。私の脳の海馬に刻みつけたいことは何でも記したいと思う。
 随時に記すこととして、自分自身の教養を広げ、心の栄養としたいと切に願うものである。

大乗寺住職 干河岸昭信 (福島県田村市大越)

2008年1月28日(月曜日)

ある青年の死に学ぶ

カテゴリー: - admin-enjuji @ 09時13分16秒

 4年半ほど前に、Hさん夫妻の娘さんが、一人息子であるCくんを遺して自死してしまいました。ご夫妻と孫にあたるC君の嘆き悲しむ日々が始まりました。

 その頃Hさんの奥様が仏教婦人会の役員になり、月例会などには欠かさず出席されておりましたが、例会後の茶話には、娘さんのことを思い出しては悲しみと反省の涙を見せないときはありませんでした。

 そんなご夫妻でも、時間がお二人の気持ちを和らげ始めてくれたようです。Hさんのお母様は95歳を越してもなお健康で、横浜の菩提寺の晨朝勤行(おあさじ)は欠かさないという篤信者であったり、また私の勧めもあって本山の御正忌報恩講に参拝するなどするうちに、次第に平静を取り戻していくのがわかるようになりました。

 ただ心配だったのは孫のC君が母親の死後なお塞ぎ込んでいることでした。いつも自分を心配してくれた母親の死のショックは計り知れず、高校卒業後就職をするのですが、夜も寝られずまた体調を崩したこともあって家にいる時間が長くなりました。病院では統合失調症と診断され2週間ごとに通院しておりました。これは心の病であり、私と坊守は自分たちでも何かの役に立つのではないかと考え、Hさんと相談し何とかC君にお寺に足を運んでもらえるよう努力することにしました。

 ご主人もC君を独り立ちさせようと一生懸命でしたが、その思いが強過ぎたのかC君は祖父を避けるようになり、ますます家族のコミュニケーションがとりにくくなっていったようです。

 その話を聞いた坊守は、仏法は生活の中に生きなければ何にもならないと、Hさんをまじえた数名で正信偈の内容を少しずつ勉強し始めました。そうした中でHさんもその正信偈を家族で唱えたいとの希望をもち、娘さんの命日である16日に月忌参りをすることに決まりました。

 Hさんのご主人は、父親の仕事の都合で学校を転々としていたことや苦労して大学に入ったこと、就職してからもいろいろな問題を抱えたこと、また生家が真言宗であったけれどキリスト教に傾倒した時期もあったこと、やがて奥様とこの地にきて浄土真宗の門徒になることになった経緯など、お参りの折にはそんなことを忌憚なく話してくれました。

 しかしながらご夫妻の心配をよそにC君はお参りになかなか顔を出してはくれません。

 そんな頃、たまたま寺の境内整備の工事が進行中で、その中には素人でもできる作業もたくさんあり、私も坊守も空いた時間にはずっとその作業を手伝っておりましたので、C君も一緒に参加してもらえるようHさんにお願いてみました。実は仕事よりも、C君が外の空気を吸って体を動かす中で何かを見つけてくれればという思いが坊守にあったようです。快諾を得、作業はC君の体調・都合に合わせて、また励みになるだろうとのことから時給も決めました。

 本堂でお参りしてから作業開始です。ほとんど毎日来てくれます。体調によって外での作業ができないときは本堂で少しずつ仏教について学ぶようにしました。

 そんな日が続くうちに、次第にC君と私に会話が増え、やがて月忌参りにも顔をのぞかせてくれるようになりました。おつとめも大きな声を出してくれるようにもなり、Hさんご夫妻も大変喜んでおられました。私も坊守も、C君が素直に自分の気持ちを話す姿に心を打たれ、この気持ちを大切に自宅でもおじいちゃんおばあちゃんのお手伝いをするようにと話をしました。

 12月の月忌参りの日、いつも来てくれるC君ではなくご主人が迎えに来られました。彼は体調がすぐれないとのことでしたが、いつも通りににこにこと大きな声でお参りされました。

 しかしその数日後、ご夫妻が突然訪ねて来られ、C君が今朝亡くなりました、とのこと。私も坊守もただただ驚くばかりでした。糖尿病からくる合併症で亡くなられたそうです。26歳という若さでありました。「昨晩急に具合が悪くなり救急車で病院に運んだのですが、今朝容体が急変して亡くなりました。せっかくお世話になってましたのに申し訳ありません。お寺が好きだったので、本堂でお葬儀をしていただきたいのですが。」とご夫妻。私も「それが一番ふさわしいでしょう。」と3日後に葬儀を執り行いました。

 私はいつも葬儀の後に御文章「白骨の章」を拝読します。このご文は、亡くなった方が身近になればなるほど身に染みます。C君はよくお寺にお出でになりました。仏教も少しずつ学ばれ、次第に明るさを取り戻していくように思いました。数日前にお会いしたときはにこにこと笑顔であったのにと思うと、まさに「朝には紅顔ありて夕には白骨となれる身」であり、老少不定の理、愛別離苦という厳しい現実を味わうこととなったのです。彼が若くしてこの世を去ったことは、お身内の方をはじめご縁の深かった方々一様にいたたまれないお気持ちであったろうと思います。

 私は7年前、一瞬にして両眼が見えなくなったことがあります。その入院治療中、視力は次第に回復していくものの脳梗塞を患い生命の危機に直面しました。このまま治らないのかと深く思い悩んだことでした。そんなとき偶々「人生は長さじゃない。深さです。幅です。」という金子大栄先生の言葉(法語カレンダー)に触れ、その言葉を支えとして一生懸命生きようと心を新たにしようと味わいました。C君も、体の調子が思うようにならず苦しい思いもしただろうけど、念仏の教えを味わう中で少しずつでも心の眼が開け、心の安定と喜びが感じられていったように思います。私はそのお念仏のすばらしさをC君から学ぶことができました。そういうことから言えばC君は私の善知識様でありました。この世ではもう会うことができず淋しいことではありますが、お浄土から私たちを還相回向として済度してくださることでしょう。有り難いことです。

 お母さんの祥月命日、C君が自分で働いたお金で購入したお花とお供物を供えて法要を終えたその日に書き残したノートを紹介します。

 お母さんのお陰で仏さまのことを知ることができました。4年かかりましたが、命の大切さも教えてもらいました。仏さまとは、亡くなった人のことをいうのではなく、私たちを守ってくださる阿弥陀如来様であることがわかりました。お母さんは、阿弥陀如来様の国にいます。けれども私たちを守っていてくださいますから、私はこの世の中は大変なことがありますが、ひとつひとつ自分のものにしてしっかりとお母さんの国に行けるように、がんばっておじいちゃんとおばあちゃんを守って暮らしたいと思います。お母さん見ていてください。

 C君の葬儀が終わり一段落した後、Hさんご夫妻がこんなことを言われました。

 「今まで孫の優しさは感じていましたが、自分のことより他人のことが気になって、友人のけんかの仲裁に入ったり困った人の相談相手になったり、彼が私たちの見えないところで人のために幾分なりとも役に立っていたかと思うと嬉しくなりました。今も同級生だった人やその家族の人たちが来てくださいます。私たちは彼にどこかしら『物足りなさ』を感じていましたが、実は私たちの思いをはるか超えていたんですね。」

 人間は誰でも長所短所を持っています。またそれは周りの条件によってどう変化するかも知れません。縁によって良くも悪くもなります。また、心の転換によって生き方を変えることもできるでしょう。

 仏さまの光に照らされると、自分が生かされていることが分かります。宗教は人間の生き方を教えてくれるものです。

 Hさんご夫妻は、C君の死によって心の転機を迎えることができました。お念仏の道に生きることを決心し、彼の五七日法要からは領解文を唱える声が聞こえるようになりました。


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