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おおごえ大乗寺『こころの栄養』~MEMORANDUM~

 日常生活において、記憶に留めておきたい言葉に逢うことが偶々ある。しかし私が還暦を過ぎて齢を重ねるごとに忘却したり、メモしたものを紛失したりすることが増えてきた。
 他人とっては他愛もないことであっても、自分にとっては大切であり、感動を覚えたことをメモしておこうと思い立ち、ここに記すことにした。
 珠玉の稿を目指すものではない。自分の心をいくらかでも高めるための栄養になれば嬉しい。
 極端に言えば新聞の切り抜きでもよい。新聞やテレビの情報をもとに自分の提言をしてもよい。それらをメモして人間形成の一助としたいと勝手に考えた。
 研究課題の問題の吐露を書くかもしれない。前進せずに後退したとしても、前を向いて懸命に進み続けたいものだ。
 何もせずにじっとしてはいられない。淀んではいられない。この「いのち」はいつまであるか分からないのだ。私の脳の海馬に刻みつけたいことは何でも記したいと思う。
 随時に記すこととして、自分自身の教養を広げ、心の栄養としたいと切に願うものである。

大乗寺住職 干河岸昭信 (福島県田村市大越)

2007年10月1日(月曜日)

築地本願寺を訪ねて

カテゴリー: - admin-enjuji @ 11時21分01秒

 9月19日、東京の築地本願寺へ参拝した。ここは、正式には「浄土真宗本願寺派築地別院」という。1年あまり前の娘の結婚式でお世話になって以来である。ここに設置されているパイプオルガンの勇壮な演奏と、楽人による雅楽が本堂に響き渡ったことを思い出した。

 この本堂の外観は、日本古来の寺院様式とは異なり、古代インド様式になっており、一部が石造りで本堂内は桃山様式、外陣は椅子式である。これは旧建物が大正12年の関東大震災の際消失したため、昭和6年に起工し3年後の昭和6年に竣工した。当時の築地本願寺輪番は、福島県須賀川市勝誓寺の前々住職岡部宗城師のときであった。

 設計は、帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)教授であった伊東忠太博士によるものであり、博士はほかにも平安神宮や消失前の明治神宮、上杉神社などの設計で有名である。また、博士の出身地山形県にある本願寺派寺院明善寺と酷似していることも興味深い。

 現在の築地本願寺は、威容を感じさせるものであるが、その沿革をみると紆余曲折があったことをうかがえる。

 徳川家康時代、本願寺が東西に分派した際の施策により、江戸において西(本願寺派)の寺院を建てることは許されていなかった。西本願寺別院の建立が認められたのは、家康の死後元和3年(1617)第12代の准如上人の時代であった。

 当時、浅草近くの横山町にあったことから「江戸浅草御坊」と呼ばれていたが、明暦3年(1657)1月の明暦の大火(振袖火事)にて焼失してしまった。その後江戸幕府区画整理のために旧地への再建が許されず、代替地として百間四方を下付された場所が八丁堀の海上であった現在地である。

 そこで名主孫右衛門以下の大阪の佃島のご門徒が中心となり、早速海の埋め立て工事に取りかかり、彼らの尽力のお陰でその翌年には三分の一の埋め立てが進み仮本堂が再建された。こうして築かれた土地に延宝7年(1679)本堂が再建され「築地御坊」と呼ばれるようになったという。

 しかしながらそうして再建された本堂も、以後数度の火災に見舞われることとなる。

 御堂境内に既存したものを含め、その他の土地からの移入あるいは新規開創によって子院がたくさん建てられた。拙寺にある明治25年10月現在の寺院名簿によると、築地3丁目には59ヶ寺掲載されているが、震災を経た現在の名簿には2ヶ寺を数えるのみである。そのほかに築地4丁目の築地場外市場(震災前の門前町)付近に3ヶ寺存在する。

 多数の寺院は、比較的被害の少なかったところに分散して再建されたという。足立区伊興町や杉並区永福、大田区萩中、世田谷区松原や北島、調布市若葉町などである。

 これから分かるように、今から350年前、別院自体が大火によって浅草を諦め現在の地に移転を余儀なくされたとき、同じ真宗門徒の力によって再建されたことは、現在のように交通の便利がよくない時代、また重機のない労力中心の時代だけに、同信の味わった喜びは大きなものであったと思う。また関東大震災で途方に暮れたときに、教線拡大のための郊外移転の本山の奨励があったとはいえ、一からの出直しも大変なご苦労があったことであろうと思う。しかしながら今から思えばそれが都市開教の原動力となったと思うことでもある。まさに逆境を転じて順境と化したことは有り難いご縁といえよう。

 現在日本の人口減が加速的になったことにより色々な面において今までのあり方と様変わりするのではないだろうか。

 葬儀中心の寺院から、宗教本来の人間としての悩みを解決する糸口としての僧侶が求められるであろう。21世紀こそ、人々の心の中に仏の教えが染み込むように、僧侶自身が精進せねばならないと密かに思う。


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