仏像の教えるもの
釈尊は35歳で悟りを開き、80歳で亡くなるまでの45年間、苦悩を乗り越えてゆく道を大衆に説いた。この説法の内容を後に文章としてまとめたものが教典である。
けれども釈尊の容姿にについて触れる部分は全くない。
その釈尊が亡くなり、直接見ることのできなかった釈尊の容姿について、人々は、大きくは32、細かくは80の特徴を伝え聞いたという。これが如来の三十二相八十種好である。
それを像として表そうとしたが、尊い釈尊の姿はなかなか形として表現できない。見た目には「人類の王様のようだ」とか、「太陽のようにありがたい方だった」とか言われ、その太陽を図案化して輪宝というシンボルマークをつくり、それを釈尊として拝むようになった。
また釈尊が歩まれた道や説法をされた場所に「仏足石」を造ってそれを拝むようになった。さらに、釈尊が菩提樹の前で禅定したことから菩提樹を図案化したものさえも信仰の対象とした。
やがて釈尊を直接見た人がいなくなると、その象徴だけでは満足できなくなり、三十二相八十種好を参考に釈尊の像をつくろうと、およそ300年の時をかけて仏陀の像が形成されていった。
すると説法の中に出てくる仏や仏弟子たちの像も次第につくられて行く。当然誰もその姿を見てはいないのだが、人格化し表現していったのである。
それが今日我々が見ている仏像で、紀元1世紀ごろに形作られた。
このようにして「如来」(阿弥陀如来・大日如来など)や「菩薩」(観音菩薩・地蔵菩薩など)、「明王」(不動明王・愛染明王など)、「天部」(四天王・仁王など)が、釈尊の姿をモデルとしてつくられていくのである。
仏教の真髄は慈悲である。父親のような厳しさと母親のような優しさを仏像は併せ持つ。また服装や指先を動かすことによるいろいろの法力を示す印相があり、蓮座や岩座などの台座の形にもそれぞれの法力に相応しい形が決められている。
では三十二相八十種好の一部を記してみよう。
釈尊の肌は金色で身体からは光が出ている。その光の長さは各一丈(約3m)で四方に向かって放射している。
皮膚は細やかで滑らかであり、妙なる香りを醸している。頭頂は肉髻相であり髪は長く紺青色で光沢があり、右回りの螺髪になっている。
額は広く円満で平らであり、中心の眉間に白毫相があっていつも光を放っている。
このように頭の一部だけでも円満で安定感があり、光り輝き美しい。身体全体は仙人の王のようで、見ていても飽きることがないという。
仏の姿を刻む仏師はそれらを念頭におき、全身全霊を傾けたことであろう。仏像は単なる美術品ではなく、仏師自身の信仰の表現である。仏像を通して、仏の慈悲を感じとりたいものである。
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