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おおごえ大乗寺『こころの栄養』~MEMORANDUM~

 日常生活において、記憶に留めておきたい言葉に逢うことが偶々ある。しかし私が還暦を過ぎて齢を重ねるごとに忘却したり、メモしたものを紛失したりすることが増えてきた。
 他人とっては他愛もないことであっても、自分にとっては大切であり、感動を覚えたことをメモしておこうと思い立ち、ここに記すことにした。
 珠玉の稿を目指すものではない。自分の心をいくらかでも高めるための栄養になれば嬉しい。
 極端に言えば新聞の切り抜きでもよい。新聞やテレビの情報をもとに自分の提言をしてもよい。それらをメモして人間形成の一助としたいと勝手に考えた。
 研究課題の問題の吐露を書くかもしれない。前進せずに後退したとしても、前を向いて懸命に進み続けたいものだ。
 何もせずにじっとしてはいられない。淀んではいられない。この「いのち」はいつまであるか分からないのだ。私の脳の海馬に刻みつけたいことは何でも記したいと思う。
 随時に記すこととして、自分自身の教養を広げ、心の栄養としたいと切に願うものである。

大乗寺住職 干河岸昭信 (福島県田村市大越)

2007年3月31日(土曜日)

植木等さんの死を悼む

カテゴリー: - admin-enjuji @ 17時29分15秒

3月27日、俳優でコメディアンの植木等さんが80歳で亡くなった。

昭和32年にハナ肇さんが結成したクレージーキャッツに参加し、歌とギャグを担当し、特に昭和36年「スーダラ節」お大ヒットさせた。

高度成長期の昭和37年の夏、映画「ニッポン無責任時代」が東宝で作られ、その主人公にを演じ、それに合わせて「無責任一代男」「ハイそれまでヨ」の曲がテレビから流れ、映画も大ヒットした。同年末には「ニッポン無責任野郎」は封切られ、これまたヒットしたのである。

いい加減な上底抜けに明るく、要領の良さだけで出世するサラリーマンを演じ、彼自身が「無責任男」の代名詞となった。しかし実は、誠実で思慮深い人であったという。

彼は、三重県の浄土真宗寺院に生まれた。父である住職は部落解放運動に積極的に関わり、封建制から抜けきれない当時、治安維持法違反で入獄したり、各地の社会運動に参加するなど、信条を持った行動の人であった。

きまじめな植木さんは、青島幸夫氏の「スーダラ節」の歌詞「わかっちゃいるけどやめられない」について父に相談したところ、親鸞の生き様に通じるものがあると諭され、歌うことを決意したという。

彼が42年前京都にいたとき、京都親鸞会が講演を依頼した。多くの市民が仏教に関心を持ってもらうために、芸能人を講師に迎えることにしたのである。それには人気があるだけではなく、しっかりした考え方をもった人ということで、植木等さんに白羽の矢が立ったということだ。

それも歌ではなく講演会ということであったが彼は快諾をし、そのユーモアある話しぶりはとても印象に残っている。

当日同じく講演した映画監督の松林宗恵氏の話によると、植木さんはこの日のために何日もかけてテープに吹き込んで練習したという。それを聞いて、彼の努力する姿に胸を打たれたことであった。

10年前頃から肺気腫を患い、療養しながらの仕事だったようである。自分に何かあったら延命措置をせず、密葬にしてくれと周りの人に話しており、関係者もそれを遺言として受けとめていたというから、日頃の信頼関係がしっかりしていたのであろう。


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