利休の心に学ぶ
千利休は幼少から茶を学んだ。17歳の時に北向道陳に学び、その後武野紹鴎に師事した。そして茶道だけでなく茶道具を開発工夫し、陶芸にも影響を与えた。
その茶道のもっとも大切なこころとして唱えているのは「和敬清寂」(四規)である。すなわち「和」…お互い同士が仲良くし、「敬」…敬い合って自らを慎み、「清」…見た目だけではなく清らかな心となるよう努力し」、「寂」…どんな時にも動じない心、が大切である。
このこころは、茶道だけではなく私たちが生きていく上で日常から心得ておきたいことである。
また利休が弟子の一人に「茶の湯で心得ておくべき最も大切なことは何か」と問われたとき、「茶は服のよきように、炭は湯の沸くように、夏は涼しく冬は暖かに、花は野にあるように、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ」と答えたという。
それを利休七則といい、もてなしの理想でありながらなかなか至難の業である。
具体的には、
茶は服(ふく)のよきように 〜心をこめる〜
「お茶は心をこめて、おいしく点てましょう」という意味です。「服のよきように」というのは、舌の先でおいしいと感じることだけでなく、一生懸命に点てたお茶を客がその気持ちも味わっていただくという、主と客との心の一体感を意味しています。
炭は湯の沸くように 〜本質を見極める〜
炭に火をつけさえすれば必ずお湯がわくとは限りません。湯がよくわくように火をおこすには、上手な炭のつぎ方があります。しかし、そのつぎ方を形式だけでのみこんだのでは火はつきません。本質をよく見極めることが大切です。
夏は涼しく、冬は暖かに 〜季節感をもつ〜
茶道では夏の涼しさを「茶室」「露地(ろじ)」「道具の取りあわせ」に表現します。「打ち水」をしたり、床に「涼一味(りょういちみ)」などのことばをかけたり、冷たいお菓子をだすなど、自然の中に自分をとけこませるような工夫をします。
花は野にあるように 〜いのちを尊ぶ〜
「花は自然に入れなさい」ということですが、「自然そのままに」再現するというのではなく、一輪の花に、野に咲く花の美しさと自然から与えられたいのちの尊さを盛りこもうとすることに真の意味があります。
刻限は早めに 〜心にゆとりを持つ〜
「時間はゆとりを持って早めに」ということですが、ゆとりとは時間を尊重することです。自分がゆったりした気持ちになるだけでなく、相手の時間を大切にすることにもなります。そのときはじめて、主と客が心を開いて向かいあうことができます。
降らずとも雨の用意 〜やわらかい心を持つ〜
「どんなときにも落ちついて行動できる心の準備と実際の用意をいつもすること」が茶道をする人の心がけであることをいおうとしています。どんなときにも「適切に場に応じられる」自由で素直な心を持つことが大切です。
相客(あいきゃく)に心せよ 〜たがいに尊重しあう〜
「相客」というのは、いっしょに客になった人たちのことです。正客の座にすわっている人も末客の席にいる人も、おたがいを尊重しあい、楽しいひとときを過ごすようにしなさいと利休は説いています。
(裏千家ホームページ〜お茶の心ってなんだろう〜より)
このように利休は、茶室ではすべての人が平等であり、客同士が尊重し合う楽しいひとときを過ごすことを実践した人であった。
彼は茶聖といわれ、今日の茶道の基礎を築いたのである。
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